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「常識」がジャマをする?発達障害の子どもとの「わかりあい」<前編>

発達障害、自閉スペクトラム症(ASD)の子どもが誤解されるワケ

突然ですが、イメージしてください。

あなたは友だち数人とテーブルを囲んでランチを食べているとします。久ぶりにあった友だちと、みんなで楽しくおしゃべりをしながらランチをしていると…急に隣の友だちが大量の鼻血を吹き出しました!鼻血がテーブルに落ち、あなたの服にも血が飛び散ってきました!

この状況でおそらくあなたは、最初は「え!?何が起こったの!?」とびっくりして固まってしまうでしょう。そして一瞬固まった後に状況を把握し…さて、まずあなたは何と言うでしょう?

たぶん多くの人は「どうしたの、大丈夫!?」と、その友だちに声をかける想像をしたのではないでしょうか?まずは鼻血を出した友だちを心配する言葉をかける、多くの人にとってはそれが「自然」で「当たり前」なことでしょう。しかし、もし「うわっ、服に血がついちゃった!」と言った友だちがいたとしたら、あなたはその人のことをどう思うでしょうか?

「なんて冷たい人なんだ!」と思うかもしれません。

「自分のことしか考えてないのか!?」と腹が立つかもしれません。

もしかしたら、その人のことを嫌いになってしまうかもしれません。

これが、発達障害、特に自閉スペクトラム症(ASD)の特性を持つ子どもが「周りから誤解され、嫌われてしまう」メカニズムなのです。

自閉とは「自分に閉じる」と書きますが、私が障害児支援の仕事を通じて何千人もの子どもたちを見て、そして実際に数百人の子どもたちを支援してきて、ASDの子どもたちは決して「自分のカラに閉じこもる」というような子どもたちではありません。私のイメージとしては、「あらゆることを、『自分から』考え始める」という子どもたちなのです。ちょっと分かりにくいと思うので、先ほどの例を使って考えてみましょう。

ASDの特性があまりない人であれば、隣の友だちが鼻血を出したときに、まず自分のことではなく、その友だちのことを心配する言葉をかけます。しかし、ASDの特性が強い人の場合、「まず自分の状況を説明する」ことから始めます。だから、「うわっ、服に血がついちゃった!」と「自分の説明」をします。

ここで大切なのは、「だからと言って、隣の友だちのことを心配していないわけではない」ということです。心の中では、ASDでない人も、ASDの人も、同じようにその友だちのことは心配しているのです。では違うのは何か?実は言動の「順番」だけでしかないのです。

よく考えると不思議だと思いませんか?同じように友達を心配していても、先に友だちを心配する言葉をかけるか、先に自分の状況を説明するか、その「言葉にすることの順番の違い」だけで、多くの人は「この人は冷たい人だ」と判断してしまうのです。先に「服に血がついちゃった!」と言ってしまえば、その後にいくら「どうしたの!?大丈夫!?」と言ったところで、周りの人からはもう「先に自分の心配をした冷たい人」あつかいをされてしまいかねません。心の中では、とてもその友だちのことを心配していた、もしかしたら誰よりもその友達のことを心配していたとしてもです。

多くの人は、「見えない気持ち」を見ようとはせず、出てきた言葉の順番だけで、その人の中身を決めつけてしまいがちなのです。

発達障害の子どもの「傷つき方」

発達障害の子どもたち、特にASDの特性を強く持つが、言葉の力はある子どもは、この発する言葉の順番で誤解され嫌われてしまうメカニズムによって、どんどん傷ついていきます。

本当は友だちのことを心配している。本当は家族のことが大好き。本当は先生のことを尊敬している。本当は大好きなペットが病気になってものすごく悲しい。本当はすごく他人のことを心配する、優しい子かもしれません。

しかし例えば、大好きなペットのポチが病気になって、その子を抱えてお母さんと一緒に病院に行って、診察してもらっている間、自分の手のにおいをかいで、「嫌なにおい…」と言ったら、お母さんに怒られたりするのです。

「なんでそんなこと言うの?ポチがかわいそうじゃない!」

発達障害の子どもには、この言葉が全く理解できなかったりします。

なんでそんなこと言うの?と言われれば、それは事実、嫌なにおいがしたからです。ポチがかわいそうじゃない!と言われれば、もちろんかわいそうだと思っているし、心配しています。

自分としては何もおかしいことは言ってないし、していません。みんなと同じように、いやそれ以上に、ポチのことを心配しています。しかし、家族みんなが、お母さんの言葉に「うんうん」とうなずいて、同意しています。なにがおかしいのかわからないから、理由を聞いても、「そんな言い方をするもんじゃない!」と言われます。事実を言っているだけなのに。そして心配もしているのに…

わけもわからず、周りから向けられる冷たい目。それによって、発達障害の子どもたちの心は傷ついていくのです。なぜなら、もうこの状況になると、「なんかよくわかんないけど、自分がおかしいんだ、とにかく自分がいけないんだ」と考えるより他にないからです。

誰もそれが「言葉にする順番の問題なんだよ」と教えてくれないのです。「本当はあなたもポチのことをすごく心配しているんだよね」とわかってくれないのです。「あなたはポチのことを心配していない」と決めつけられてしまうのです。こうなると、もはや「自分の気持ち」そのものを疑うしかなくなってしまいます。自分が信じられなくなるのです。これほど傷つくことがあるでしょうか?

なぜこんなことが起こるのでしょうか?それは、人間が「群れで生きる動物」として進化してきたから、という考え方があります。群れで生きる動物は、仲間とともに行動することが生き残るうえでとても重要です。なので、仲間を失わないように、緊急事態になった場合には、まず自分の状況説明よりも仲間の心配をしてケアをすることで、仲間が助かりやすくなり群れが生き残ってきたようです。それによって、「まず自分の説明よりも仲間への声かけを重視する」人間が多数派になった、という考え方です。つまり、「本能」でそうしているだけで、それが「自然」で「当たり前」と多くの人が思い込んでいる、というだけのことです。

そしてあくまでもそれは多数派の人間にのみ通じる「常識」であって、少数派である発達障害の子どもたちには通じないことが多いのです。私のイメージとしては、発達障害の子どもたち、とくにASDの特性の強い子どもたちは、群れで生きる動物としてではなく、一匹オオカミ、ソロプレーヤーとして生まれてきているようなイメージなのです。群れで生きる動物としてのお作法を、本能的に取らないことが多いように感じています。

この「お作法」は、本来「他人を思いやることができるかどうか」ということとは関係のない、「多数派が取りやすい言動の順番」でしかないということに、まず多数派の人の側が気づかなければいけません。そうでなければ、このすれ違いにお互い一生気づけないままで、一方的に発達障害の子どもたちは傷ついていくのです。(後編に続きます)

(ぜんち共済より)子育て、特に発達に特性のある子の子育てには様々な悩みや問題がつきもの。日常の些細なことはもちろん、親御さんだけでは抱えきれないような心配事もあるかもしれません。そんなあれこれを匿名で、こちらのコラムの筆者である北川庄司先生に相談してみませんか?(採用されたお悩み、また北川先生からの回答は、ぜんち共済コラムに掲載させていただきますことあらかじめご了承ください。)

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執筆者プロフィール

北川庄治

東京大学文学部卒、東京大学大学院教育学研究科(教育学修士)
デコボコベース株式会社 最高品質責任者CQO
一般社団法人ファボラボ 代表理事
公認心理師 /NESTA認定キッズコーディネーショントレーナー
高等学校教諭専修免許 /中学校教諭専修免許所持
神戸大などとの共同研究にも携わる。

◇デコボコベース株式会社
https://decoboco-base.com/
◇デコボコTV(YouTubeチャンネル)
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