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SNSとの賢い距離のとりかた ―「使わされる」のではなく、「使う」コツ (前編)

私とSNSとの関係は思えばとても長いです。最初はwww(ワールドワイドウェブ)普及の初期、1999年の始め。自分の障害を自覚しないまま、漠然とした生きづらさに苦しんでいた私は、つながりを求めてSNSの前段階のような諸サービスを使い始めたのでした。それから今や20年以上。この間、SNSの爆発的な普及や、それに伴う社会の変化も起こり、私のSNSに対するスタンスもいろいろと変化し… 今回はそうした、私とSNSの距離のとりかたについてお話しします。

SNSと私の歴史を振り返る

まずはじめに、SNSと私の歴史を振り返ります。

SNSの初期形態との出会い

1999年、大学1年生のとき、家にダイヤルアップ回線のインターネットが導入されました。私は手打ちのHTMLを使ってテキストサイトを作り、日記や作品を投稿したり。BBS(Bulletin Board Service、インターネット掲示板)で画面の向こうの、同じような生きづらさを抱えた人たちとの交流に夢中になったりしました。

その後、2000年代にはさまざまなブログサービスが登場し、HTMLの知識がなくても気軽にブログを運営できるように。私はここでもせっせと日記や作品を投稿し、コメント欄や付属のBBSで画面の向こうの人たちと交流に励みました。

テキストサイトやブログ、BBSは、相互交流が可能という点で、SNSの初期形態として分類されることがあるようです。いずれにしろ、私のこれらのサービスの利用目的は常に「つながり・情報」と「ライフログ」で、こういった目的は今に至っても変わっていません。

SNSとの出会い

この後、これらの発展型としてついに、ユーザーの相互交流自体を目的としたサービス、「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」が次々に勃興します。

日本において3大SNSとして挙げられるのは、mixi、Facebook、Twitter(現X)かなと思います。これらのサービス開始のタイミングを整理すると、Facebookが2004年2月、その1ヶ月後の3月にmixi、その2年後の2006年3月にTwitterとなります。

私は2005年にmixi、2007年にFacebookとTwitterの利用を開始しました。当時はどのSNSも、「情報に敏感な新しいもの好きによる新しい遊び」のような雰囲気があり、ほぼリアルタイムでいろいろな人とつながれること自体が新鮮なものとして楽しまれていました。本当に牧歌的な世界でした。その後世界で覇権を獲得したTwitter(X)からこの穏やかさが失われ、決め手となる代替サービスが登場していない今、こうしたかつてのインターネットの空気が懐かしいです。

…と言いながら記事を完成させた2024年12月後半、突然、かのmixiの後継サービスである「mixi2」のサービス開始のニュースが入りました。

サービス開始から数日経った現在、かつてのSNSの雰囲気を懐かしむ中年以降のユーザーの間で歓喜の渦が巻き起こっています。今後の展開は未知数ですが、日本製サービスの安心感の点や、Twitter(X)でどんどん失われていった使いやすさ、心理的安全性をほぼ全て備えている点で、ついに日本人にとってのTwitter(X)の代替の登場ではないかと期待される向きもあるようです。

Twitterの拡大と、宇樹義子としての活動の発展

2011年、東日本大震災をきっかけに、どんなときでも人とつながって近況報告や情報交換ができるTwitterの機能が注目されることに。日本で一気にTwitterが普及しました。

そしてなんと、私は震災時に「僕のところに逃げてきて」とメッセージを送ってくれた、もともとTwitterで相互フォローだった男性と結婚。当時、こうした形での結婚は「ツイ婚」とか「震災婚」と呼ばれていました。

多くの人がビジネス上の目的を持ってTwitterに広報・交流用のアカウントを作る空気の中で、私がライターとしての活動を広げるために現在のアカウントをとったのが2015年。

その後、私は仕事も仕事相手も友人もTwitterから手に入れながら、実績を重ね、フォロワーを増やし、書籍を出版。これと並行するようにTwitterの利用者はどんどん増え、拡散性はどんどん上がり、ちょっとした発言がバズりやすくなってフォロワーがまた増えるという循環が起こりました。

イーロン・マスクがTwitterの運営に参加し、TwitterがXになったあたりでまた爆発的に拡散性が上がり、私のアカウントのフォロワーは1万人を超えて、現在に至ります。

X(Twitter)のアカウントを鍵(非公開)にした理由

私は最近、X(Twitter)のアカウントを鍵(非公開)にしました。理由としてはおおまかに3つあります。

1.Xの過度な拡散性

1つめは、Xの拡散性が上がりすぎ、あまりに普及しすぎて、人々の感情的な対立・分断を煽るツールになってしまったこと。昔のTwitterは「実社会に居場所を感じられない人たちの待避所、オアシス」のような雰囲気でした。しかし、今やXは現実社会の劣化コピーであり、Xは現実社会をどちらかというと悪い意味で左右する力を持つようになってしまったように思えます。

どんなときにバズったり炎上したりするかまったく読めず、いつもどこかビクビクしながらXを使っていた私。この過剰な拡散性を自分でコントロールして安全にXを使うには、鍵アカウントにする以外に方法がないと思うようになったのです。

2.ブロック機能の改悪

2つめは、ブロック機能の改悪です。以前は、ブロックしたアカウントからはこちらの投稿を閲覧することができませんでした。しかし、機能の変更により、ブロックしたアカウントからもこちらの投稿を閲覧できるように…

これは、あるアカウント(以下A)からブロックされたアカウントが、Aの投稿のスクリーンショットを撮ったり、Webにアーカイブを残したりする→ 炎上を煽ったりデジタルタトゥー(Web上に半永久的に残るマイナスの個人情報)としたりする ということが実質公的に認められてしまったということです。

私は、こうしたリスクを多少でも軽減するためにブロック機能を使っていました。ですから、私にとってはブロック機能がなくなってしまったのと同じです。

それで、私が認めたフォロワーでなければ投稿を閲覧できない鍵アカウントにすることにしたのです。

3.つながりの充足

3つめは、ここ10年ほどの間に、X以外でのつながり、居場所をしっかり構築できたことです。

単に相互フォローだった人たちの中から、家族ぐるみのつきあいの友人や、一緒に仕事をするような仕事相手、学問やビジネス上の情報交換をする仲間がたくさんできた。また、オフラインでも、近所の人たちや地元のボランティアなどでの人間関係ができた。情報収集のためにつながっておきたい人たちとはすでに相互フォローになったし、誰かのツテを頼れば現実に紹介してもらえるような人間関係を作ることができた。

人との交流はこうした現実レベルに落とし込まれた人たちとすればいいのであって、欠落したつながりを求めて必死にSNSの荒波を漕ぎ出すようなことはもう私には必要ないと思ったのです。(続編に続きます)

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ。早稲田大学卒。ASD、複雑性PTSD。
2015年に発達障害当事者としての活動を始める。LITALICO発達ナビなどで連載開始。 2024年、日本語教師としても活動を開始。複数メディアで活動を続けながら、次の発信を模索中。
現在、発達支援×日本語支援の分野に興味津々。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画
―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました

80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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