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重度知的障害者施設で働く理由とは?怖かった利用者を大好きに

今年も新たな年度が始まりました。桜が咲き、希望にあふれた若者達が新しく社会の一員になるこの頃、ふと懐かしく思い出すのが、自分がこの仕事に就いた時のことです。昭和の終わり、今から30年以上前のことになります。

■障害者福祉の仕事に就くまで

「独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園」これが私の職場です。文字通り国立の肩書きを持つ、重度・最重度の知的障害児・者の支援とそれにまつわる調査・研究や援助・助言、セミナー・研修の開催や各種実習の受け入れ等を主な業務とする総合施設です。

昭和46年に旧法人である「国立コロニーのぞみの園」として、全国から530人の利用者を群馬県高崎市の山の上に集めて開所しました。平成15年に現在の法人にリニューアルし早20年、私自身も地域移行を中心に高齢化・重度化等と向かい合ってきました。

私が入職した当時、福祉職に就く人は専門の教育を受けた人達がほとんどでした。そんな中で私はというと、大学で産業社会学を学び、卒業後セールスマンとして社会に出ましたが、実社会の荒波に飲まれて半年でドロップアウト。

 

高校の時にほんの少しボランティアで「通勤寮」に関わった経験を思いだし、知的障害の世界に進もうと思いました。しかし、年度途中の正規採用は難しいことから、たまたま募集していた今の法人の非常勤職員に「少しでも知的障害を知ることができれば」程度の軽い気持ちで応募しました。

面接試験を受けるために、初めて山の上へ、セールスになるときに親に買ってもらった一張羅のスーツに身を包んで訪れました。面接は形ばかりで、一週間後から勤める事になる職場に案内されました。

そこはH寮という女子寮で仕事内容の説明を受けてびっくりです。入浴・排泄・食事等々日常の全ての支援を行う。しかも女性の・・・。今にして思えば、当時はまだ同姓介護が徹底されておらず、寮の職員の半分は男性でした。

そしてその後に紹介された利用者の皆さん。そこで見た初めての最重度の知的障害者は私にとって衝撃でした。実は高校時代にボランティアを行っていた「通勤寮」という仕組みは、一般企業等に通う知的障害が軽い人達の生活する場所でした。ほぼ自分と変わらない暮らしをしていた軽度の知的障害の人達が、当時の私にとっての知的障害者像だったのです。

■利用者の第一印象

そんな私のH寮利用者への第一印象は、当時の私の感覚では、まさしく何をされるか想像もつかない「怖くて、近寄りがたい」人達でした。出勤までの一週間悩みましたが、心のどこかにあった好奇心と「嫌なら辞めればいいや」という開き直りで初出勤しました。最初の数週間は経験の無いことばかりで戸惑いしかありません。

 

利用者に声すらまともにかけられませんでした。しかも日々ある失禁処理や入浴介助等に慣れることもなく、全くもって辛い仕事でした。そろそろ辞めようかと思い始めていたある日、いつものように誰もいない職員室で休憩していると、Aさんという利用者が職員室の前に来て「パッパくれ」とたばこの要求をしてきました。

■Aさんとの出会い

火の管理が必要なので、必ず職員が付き添わないとたばこが吸えない人です。しかも収集癖があるので衣類の中にはいつもゴミを山ほど詰めていて、便で遊ぶので両手の爪にはいつも便がこびりついており、利用者・職員かまわず粗暴行為のある私の苦手とする利用者のひとりでした。

どう対応して良いか教わってもおらず、仕方なしに自分のたばこを渡し、火をつけ、吸い終わるまで傍らに立ちつくしていました。吸い終わったAさんは慣れた手つきで灰皿で火を消すと一瞥して立ち去りました。ちょっとホッとしました。

しかし、翌日からAさんは何故か職員室に私しかいない時に限ってたばこを吸いに来るようになりました。担当の職員から彼女のたばこの保管場所と対応の仕方を教えてもらった私は、仕方なしに毎日付き合います。

何日かすると、ぶつぶつ小さい声で独り言を言いながらたばこを吹かす彼女が、時々私に笑顔を向けるようになります。それに対して、気がつくと私も自然と声をかけていました。もう少しこの仕事を続けてみようかと思います。

 

更に数週間ほど経つと、手を洗うことが嫌いな彼女でしたが、たばこの前に私が誘うと嫌がらずにきれいに洗わせてくれるようになります。彼女の宝(ゴミの山)も片付けさせてくれるようにもなりました。こうして職場内で私に与えられた仕事ができました。

そんな日々の関わりの中で、苦手だったAさんを特別に思う自分がいました。この事をきっかけに、この仕事の楽しさややりがいに気付くようになると、仕事や利用者に対する苦手意識はみるみる消えて、職場にこのまま残る決断をしました。

そしてそれから一年後のH寮最後の日、お別れの会でもらった花束を手に寮の玄関に向かうと、両手を広げて「いくな」と通せんぼしてべそをかくAさんの姿。この経験が今も自分を支えています。

■これまでの日々を振り返って

30数年この仕事を続けてきて思い起こせば、まるで素人だった私が、日々の関わりを通じて知的に障害があるご本人達の笑顔が大好きになって、その笑顔を見たいがために続けてきたんだなぁと実感します。楽しくて、やり甲斐のある、素晴らしい仕事に巡り会えたな~と改めて感じています。

執筆者プロフィール

古川慎治(ふるかわ しんじ)

現職:独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園(通称:国立のぞみの園)理事。

昭和の終わりに旧法人である国立コロニー「のぞみの園」入職。国立の入所施設の職員として、全国から集められた重度・最重度の知的障害者の生活支援に直接携わる。
平成15年 独立行政法人化に伴い新設された地域移行課に所属。「ふるさとの町を目指す地域移行」を担当することとなり、45都道府県300を超える市町村を移行先とする地域移行に取り組み、全国を飛び回ることとなる。
平成20年 地域や法人内での地域移行に向けた生活訓練を管理者として直接担当
平成23年 地域移行課長就任。翌年には、地域支援課長を併任し、地域移行に取り組みつつ、地域移行が難しい高齢・重度で身寄りのない人等を受け入れる法人所有の高齢・重度者に特化したグループホーム4カ所と地域での生活介護事業も担当する。
平成25年 地域移行を始めて10年。地域移行者が150人を超える。
平成28年 事業企画・管理課長 平成30年 事業企画部次長 平成31年 事業企画部長を経て
令和5年~現職。

法人が地域移行に取り組んで20年。法人内で一環的に地域移行に関わり続ける唯一の存在となる。一方で、「国立のぞみの園を売る営業職」と称して国立のぞみの園を多くの人に知ってもらうために、日本知的障害者福祉協会・全国手をつなぐ育成会連合会を中心とした様々な大会や研修等で、これまでの経験から得た知見をベースに、知的障害者を中心とした「重度化・高齢化支援」や「地域移行・地域支援」「制度や仕組み」「施設の今後のあり方」「意思決定」「親亡き後」等々をキーワードにした講演で全国を旅して回る。またそれ以外でも、国からの委託研究や調査等で全国を回りつつ、施策立案等に関わる。

全国手をつなぐ育成会連合会 機関紙「手をつなぐ」編集委員
【趣味】訪問先で仕事の話をしつつ、現地の美味しいものを飲んだり食べたりすること。
【特技】比較的誰とでもお友達になれ、馴れ馴れしくすること。

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