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成人期のダウン症のある方が直面する課題とは

東京逓信病院の小児科医、小野正恵先生へのインタビュー【後編】です。

 

前回は、小野先生から「ダウン症は、ひとつの体質や特性なのです」という話を聴いて、私が長年抱えていた謎が解けたような気持ちになりました。詳しくは、ダウン症は一つの<体質>であるをご一読ください。それでは、小野先生のインタビュー後編をご紹介します。

 

成人期になると直面する課題とは

 

持田:小野先生、ダウン症のある方々が成人期になると、どのような課題に直面するのでしょうか?

 

小野先生:ダウン症のある人が学校に行くようになると、しばらくの間は病院に行かなくて済むほどに健康を保つ時期があります。この時期は、健康面では安定していますが、精神面が不安定になりがちです。月経がはじまる時期や就労期のストレス、きょうだいが自立して家を離れる、親が病気になる、など、家族に生じる微妙な変化に臨機応変に応じることが難しいと言われています。

 

持田:そういえば、兄が35歳から45歳にかけて、それまで私が知っていた兄とは別人になったかのように情緒が不安定になりました。ちょうど父親が闘病の末に亡くなり、母親が入院したりして家族の状況が大きく変わった時期でした。成人になるということは、自分の思い通りにならないことが増えるので、誰にとってもストレスが増えますよね。ダウン症のある方は、そのストレスを解消することが難しくなる、ということなのでしょうか。

 

小野先生:ダウン症のある方が、それまで明るく元気に過ごせていたのに、成人期に差し掛かった頃に、急に言葉が減り、元気がなくなり、コミュニケーションが取りにくくなるという現象がみられることがあります。これを、「急激退行(症)」という言い方をしますが、その原因には「反応性鬱」とか、「心身症」とか、「甲状腺機能低下症」など、様々な要因も含まれます。

 

持田:母親が入院した直後に、兄は何も話さなくなって意思疎通が取れなくなりました。その時の様子は、コラムにも書いたのですが、「反応性鬱」や「甲状腺機能」の症状が原因だったのかもしれません。ダウン症の特性としてストレスを解消することが難しくなるのではなく、身体的な病気や精神的な不安定さが要因になることもあるのですね。納得しました。

 

小野先生:医学的に「退行」というのは、以前できていたことができなくなったことを指すと同時に、元に戻らないことを意味しますが、ダウン症の「急激退行」では、治療できる原因がありますので、包括的に診察し、原因を探らないといけません。しかし、ダウン症の特性を知って、総合的に診療してもらえる病院は多くないのが実情です。

 

誤診が招く投薬治療の落とし穴からセンター構想へ

 

持田:兄が無気力になった時に小野先生の診察を受けたかったです。治療できる原因があるということは初めて知りました。当時の兄の“かかりつけ医”からは、アルツハイマー型認知症の症状が始まったのではないかと診断され、処方された薬を飲ませていたのですが、兄はますます無気力になっていきました。私はいまでも、あれは誤診だったのではないかと思っています。

小野先生:認知機能の低下に対しては、薬を処方されることがありますが、副作用が出るだけで、効果が出ない人もいます。ある程度経験値があって必要最小限の検査に留め、有効と思われる薬にトライアルするのが伴走支援だと思います。そうした背景があるので、小児科対象年齢(通常15歳まで)で診察が終わるのでなく、その後も継続的なフォローをしていく必要があると強く感じたことが「東京ダウンセンター構想」につながりました。

 

持田:兄には副作用が出たのだと思います。しかし、家族は、その薬が本人に合っているのかどうか判断することができないので、ダウン症のある方を専門に診察していただける医療機関がもっと増えてほしいと思います。

 

小野先生:「子どもにダウン症候群という診断名がつき、不安や心配の渦に巻きこまれ、医者からどんな説明を受けたのか忘れてしまったけれど、その時の(医者の)態度が良くなかったことだけは覚えている」といったご家族に、私は寄り添いたいと思いました。当初は低年齢のお子様を対象に「赤ちゃん体操」を導入しながら、子育ての応援をしたいと思ってダウン外来(院内での通称:赤ちゃん体操教室)を開きました。

持田:そこから、どの様にして成人のダウン症のある方を診療するようになったのですか?

 

小野先生:(ダウン症のあるお子さんが)歩けるようになった後は、よく食べられ、少しでもお話が良くできるようにと、ご縁のあった有能な言語聴覚士に来てもらい、ダウン症のお子さんに特化して指導いただくようになりました。

その後、もっと上の年齢のお子さんたちの問題や課題もたくさん見えてきて、さらには成人後、中年後の問題が大きくなり、結局年齢を問わず、最初から最後まで、一生を通じて、「あそこに行けば何とかなる」(日常の健康管理、アドバイス、書類作成のほか、高い専門性を要する内容なら最適な医療機関を紹介することも含む)と思ってもらえる基地のような存在になりたいと思い、その気持ちを「東京ダウンセンター」という名称に込めました。

 

持田:多くの親やきょうだいが待ち望んでいたと思います。

 

小野先生:理想のシステムの第一歩でしかありませんが、さらなるステップアップを考えています。まだまだ進化したいと考えています。人生のいろいろな段階で、泣きながら「どこに相談したらいいのか本当に困った」「どこに相談してもだめだったが、何とかならないか?」とおっしゃるご家族にお会いするチャンスを頂き、このセンターが有効に機能し、難しいことも多々ありますが、わずかでも困りごとを解決することができていることは、「やってよかった」と思っています。

 

最終編 ダウン症は未知の世界に突入している】に続く

 

ここまでのインタビューを終えて

ダウン症のある方にとって「安心すること」はとても大切なことです。成人期から中年期にかけて、家族の状況が変わると、今まで築いてきた安心が奪われてしまうかもしれない、と不安になるのかもしれません。

きょうだいは、このような医学的な情報を教えてもらう機会が少ないので将来の見通しが立たなくて不安になります。親御さんもお子さんが幼い頃から見通しが立たない不安を抱えているのではないでしょうか。家族みんなが不安な中で、このように小野先生に情報共有をしていただき、わたしも安心しました。ありがとうございました。

執筆者プロフィール

持田恭子

1966年生、東京都出身。ダウン症の兄がいる妹。
海外勤務の後、外資系金融機関にて管理職を経て、一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会代表理事に就任。父を看取り、親の介護と看取りを経験し、親なきあとの兄との関係性や、きょうだい児の子育てについて講演を多数行っている。障害のある兄弟姉妹がいる「きょうだい」を対象に「中高生のかたり場」と「きょうだいの集い」を毎月開催。その他に、きょうだい、保護者、支援者が意見交換をしながら障害者福祉と高齢者介護の基礎知識を深めるエンパワメントサポート講座を開講。親子の気持ちが理解できる、支援者として家族支援の実態がつかめる、と好評。自分らしく生きる社会づくりを目指している。

【講演実績】
・保護者向け勉強会(育成会・NPO法人・障害者支援施設)
・市民フォーラム
・大学、特別支援学校(高等科)

【職員研修】
・外資系銀行
・社会福祉事業団

【メディア実績】
・NHK Eテレ「バリアフリーバラエティ番組バリバラ」
・NHK Eテレ「ハートネットTV」
・その他ニュース番組など

【著書】
自分のために生きる
電子書籍Kindle版 https://amzn.to/3ngNMS6

【ホームページ】
https://canjpn.jimdofree.com/

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