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実家はほとんどゴミ屋敷! 母はためこみ症だった

私には発達障害がありますが、母にも精神疾患があります。医師による診断は受けていませんが、母の病気はためこみ症と思われるもの。実家は私が30代になる頃にはほとんどゴミ屋敷になっていました。今回は母のためこみ症についてお話しします。

■誰ひとり問題に気づかぬまま…

 

私が4歳のとき、両親が、祖父の家の敷地のあいたところに新しい家を建てました。洒落た輸入住宅で、調度品などは母の趣味のヨーロッパ風のもので揃えられました。

母方の祖母が裁縫やクラフトが得意で、暇に任せて作ってたくさんくれる作品を、母はどんどん、出窓や棚に飾っていきます…… 

こうしたものが日に焼けて退色しても、埃をかぶり劣化しても、30年経っても、捨てられずそのままの場所に飾り続けられることになるとは、当初誰も思いもしませんでした。

最初は何もない新しい家だったのもあって、しばらくはなんの違和感もありませんでした。でも、この家にはモノがどんどん入ってくるばかりで、いったん入ってくると誰も捨てないで全部溜めておく。結果、家の中にモノはどんどん増えていきます。

母にも、ほかの家族メンバーにも定期的に掃除をするという習慣がなかったのもあって、家の中はいつもホコリだらけで、モノが多い。ドラマや、たまに遊びに行く同級生の家などを見ていても「世の中の家も自分の家と同じようなもので、人に見せるときには事前に必死に掃除しているのだろう」と思っていました。

■何かがおかしい…

 

なんとなくおかしいなと思ったのは、私が高校生になるぐらいの頃。

最初に揃えた収納がいっぱいになってモノが溢れてくる時期と、100均ショップが流行る時期が重なって、家の中のあちこちに小さなプラスチックのカゴ類が置かれるように。また、母は本や映画のビデオテープを収集するのが趣味で、それをしまう場所がないからと父にしつこく迫り、結局、ほとんど使っていなかった和室に大容量の本棚を二つ入れることに成功しました。

和室を占領する二つの本棚を見ていて、なんともいえない嫌な違和感が私の胸を占領しました。和室って、こんなふうに使うものだっけ? それにここに入ってる本やビデオは単に保管しておくだけで、普段使うようなものじゃないよね? ここはつまり倉庫ということ? あれ? なんだかおかしくない?

そこまで考えてすごく不安になった私は、「いや、お母さんは司書だから、きっと本や資料の類は分類して保管するっていう発想なんだ、職業病なんだ」と無理やり自分を納得させて、この違和感を頭の隅に追いやることにしました。

■そして「棚地獄」へ

 

いったん棚を増やしていいとなると、母のためこみ傾向は一気に加速したように見えました。悪いことに、同じ頃に「カラーボックス」と呼ばれる、ホームセンターなどで簡単に買って自分で組み立てられる、簡素な作りの棚が流行ったのです。

何かといえばカラーボックスやチープなプラスチックの収納ケースを買ってきて、溢れているモノをとりあえず放り込み、あとは忘れる。母がそういうことを繰り返すので、家の中にはどんどん棚やケースが増えていきました。

それから20年もあとになって私が母のためこみ症に気づいてから、カラーボックスやプラスチックの収納ケースはためこみ症の人が好んで買い集めるものだと、私は知るのですが……

ためこみ傾向の人が溢れるモノを収めるためにどんどん棚を買い込み、家の中が棚だらけになる状況は「棚地獄」とも呼ばれます。

■モノを捨てようとすると激怒する

 

私が大学生の頃になると、家の中は普通に歩くのにも支障があるほどにモノが増えていました。

高校までの間、自室が足の踏み場もないほど散らかっていた私。それが自分のだらしなさのせいだと思っていたのですが、ついに「母が押しつけてくる大量のお下がりの服や嫁入り道具の家具のせいで、単純にモノが多すぎるんだ」と気づくことになります。

このときにはもう、人を家に呼ぼうにも恥ずかしくて呼べない、人をもてなすためのテーブルの面積が空けられない、という状況でした。母もたまに「こんなんじゃ人を呼べない」と言うので、私は喜々として「じゃあ片づけようよ! 私も協力する。なんなら業者も呼んで手伝ってもらって、モノを捨てよう」と言うと、なぜか怒り出して絶対にやりたがりません。

「いつか使うかもしれないときのために、こういうものをちゃんととっておくのがデキる人のやることなの」と言って必ずデパートなどの紙袋をとっておき、捨てようとすると怒る母。

私が一度、数十年レベルの期間あちこちに溜め続けられた紙袋を一箇所に集めてみたら、なんと行李(こうり)二杯ぶんになりました。大半は経年劣化で黄ばんでしまって使えません。それを母に報告すると「あら、まあ」と全然悪びれないのでがっくりきました。

こうして、捨てたい私と、捨てたくない母の激しい攻防が始まります。

母はすでにひきこもり状態になっていたので、彼女が出かけている隙に業者を呼んで運び出すような方法はとれません。彼女は昼夜逆転していて午後まで寝ていたので、彼女が寝ているすきに息をひそめてモノをゴミ袋に詰めて運び出したり、リサイクルショップに売りに行ったり。

運悪く見つかるようなことがあると悲劇です。母は顔を真っ赤にして眉を吊り上げ、据わった目で声を荒げて理屈の通らないことを言ったり、暴言を吐いたりするのです。それも半日とか。おっとりしたお嬢様育ちだった彼女なのに、こういうときには人が変わったようになってしまう。上品で知的で、ちょっと自慢だった母なのに… 恐ろしかったし、すごくショックでした。

■耐えられずに逃げ出した私

 

40代になってやっと気づくことになりますが、ためこみ症の人は「モノと愛着関係を結んでしまう」と言われています。まるで赤ちゃんが母親に対して感じるような強い絆と安心感を、モノに対して求めてしまう。

ためこみ症の人にとって、自分がこだわっているモノを捨てられてしまうことは、赤ちゃんが母親を殺されてしまうのと同じ大きな危機。だからためこみ症の人は、モノを捨てられそうになると、もとの人格が変わってしまうほどの激怒を示すのです。

ためこみ症は強迫症の関連疾患と言われています。強迫症と併発することも多く、ためこみ症にも強迫症にもトラウマとの関連が指摘されています。これも40代になって気づいたことですが、母にはあまりメジャーでないタイプの強迫症の症状が歴然としてありました。

母はほかの重度の強迫症患者と同じように、不安に耐えられず、安心するために常に確定的な情報を求め、その情報を、自分が信頼している人からもらいたいと望みました。結果的に家族や支援者などに激しく依存します。その依存対象の最たるものとなったのが娘の私でした。

私は最終的には毎日24時間、家事全般だけでなく、(いま思えば)母の強迫症の巻き込み症状への対応を迫られることになりました。

この地獄の生活は20代の10年間ほど続きました。2011年の東日本大震災のあと、母は強い不安からついに不穏となって暴れだします。私は、このままでは互いの生命に危険が及ぶと恐怖して実家から逃げ出し、今に至ります。

私は自身が発達障害者ですが、精神疾患の親を持つ子どもとして、ヤングケアラーのような状態にもあったと言えるかもしれません。

母は私がいなくなってから5年ぐらいは自立生活を送っていましたが、次第に強迫症状が悪化して自立生活が送れなくなったため、海外に単身赴任していた父が仕事を辞めて帰ってきて、しばらく彼女を介護しました。父が何年もかけてようやく母の説得に成功し、彼女を介護つき高齢者住宅に入れたのが5年ほど前です。

■中年の私に残された課題「実家の片づけ」

 

実家は母が施設に入ったあと、父がずいぶん片づけたそうですが、まもなく父も身体を悪くしてあまり動けなくなったので片づけはあまり進んでいないそうです。父が元気なうちに早く片づけなければと思ったあたりでコロナ禍となり、帰れないままさらに数年経ってしまいました。この間に父の体調もさらに悪くなってしまった。人生上の最大の懸念事項が棚上げとなったままで、気の重い日々です。

現在中年となった人たちが、高齢となった親世代のためこみでゴミ屋敷・モノ屋敷となった実家を片づけするのに苦労している… そういった話題がここ数年目立ちます。私はオンラインで「ためこみ症者家族の会」を立ち上げ、運営しています。あまり活発なやりとりはされていない会ですが、有用な情報の蓄積を目指しています。ご興味のある方はご連絡ください。

https://self-help-group.sakura.ne.jp/self_help_groups/view/783

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ。早稲田大学卒。ASD、複雑性PTSD。
2015年に発達障害当事者としての活動を始める。LITALICO発達ナビなどで連載開始。 2024年、日本語教師としても活動を開始。複数メディアで活動を続けながら、次の発信を模索中。
現在、発達支援×日本語支援の分野に興味津々。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画
―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました

80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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