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重度の知的障害のある方の地域移行 ~施設から故郷への物語~

先日、社会保障審議会障害者部会の報告書「障害者総合支援法改正法施行後3年の見直しについて」(案)が提出され、改めて現状の制度や仕組みについて,新たな提言がなされました。その冒頭、基本的な考え方として、「入所施設や病院からの地域移行を促進する必要があることを明確化していく」ということが記されています。

また、障害者差別解消法が施行され、障害がある人に対しての合理的配慮が行われるようになり、知的障害がある人への合理的配慮としての意思決定支援が言われる中、改めて入所施設からの地域移行にスポットがあたるようになってきています。

私が所属する「国立重度知的障害者総合施設のぞみの園」(通称:国立のぞみの園)は、昭和46年に前身である「心身障害者福祉協会国立コロニーのぞみの園」として設立され、全国46の都道府県(沖縄県除く)から530人の重度・最重度の知的障害がある人が入所されました。当時の入所施設がそうであったように、国立コロニーも「親亡き後も一生ここで幸せに暮らしてもらう」という「終の棲家」の役割を担うこととなりました。多くのご家族は「本人も家族もようやく安心して暮らすことが出来るようになった」と話されたそうです。

それから33年間が経過した平成15年、国立コロニーは国立のぞみの園にリニューアルしました。それと同時に役割も大きく変わり、どんなに障害が重くても地域で暮らすことを目指す先進的・総合的な支援を提供することとなりました。これにより全国の370を超える出身地の町に帰る「地域移行」に取り組むことになったのです。

長期間入所して、平均年齢も53.7歳、499名の重度・最重度の知的障害がある人達。身体や認知の機能低下が見られる人も徐々に増えていました。そんな決して若くはない皆さんが、改めて地域移行で全国の故郷の町を目指すこととなりました。

 

「地域で暮らす」重度の知的障害がある人達にとって決して容易いことではありません。

 

支える仕組みや人が必要です。全国を回るとその格差に驚かされました。しかも一人ひとり必要とするものは違います。試行錯誤の繰り返しでした。施設内の職員宿舎に生活体験ができる部屋を作り、生活寮を離れ、少人数で実際に暮らしてもらう。

支援してみると、様々な発見がありました。しかし、そこでの暮らしを続けるうちに、町の中で暮らすことの検証は町の中でしか出来ないことに気付き、町の中に体験できる建物を準備して移ってもらいました。そこで支援者のアセスメント力や支援プログラムは格段に向上しました。しかし、一番の収穫は重度・最重度の知的障害がある人の意思の確認でした。

 

高齢・重度で、たとえ言葉がなくても、体験・経験を通じて必ず表情や態度に変化が見られます。生活体験を行い、それらを丁寧に確認することが意思決定につながりました。

 

Aさんという人を思い出します。Aさんは昭和46年の設立時からここに来て暮らしていました。知的に重度の障害があり、脳性麻痺で両手腕の機能は全廃、言葉もありません。

 

下肢も入所当初は多少の歩行はできましたが、国立のぞみの園になった頃には、日常的に車椅子上で全面的な介助が必要な生活でした。そんなAさんですが表情は豊かで、笑顔の素敵な人でした。平成15年当初、全国的に見ても町の中でAさんを支援できる仕組みはほとんど無く、家族も我々もAさんは生涯をのぞみの園で暮らすと思っていました。

 

そんなAさんですが、本人の希望も有り、町の中での生活体験を繰り返すうちに、表情や態度が変わり、笑顔の量も格段に増えていきました。体験が終わり生活寮へ戻ると表情が一変してしまうことに家族も気付きました。「町の中で暮らしたい」というサインに家族も支援者も気が付いたのです。今まで頑なに地域移行に反対していた家族は、この事実に気持ちが動き、地域移行に同意します。

 

しかし故郷には支援する仕組みがありません。大好きになった生活体験を重ねるうちに8年が経過した頃、ようやく思いが叶います。なんと故郷にAさんを支援出来るグループホームが作られたのです。あきらめなかった我々の勝利です。59歳になったAさんは生涯一と思えるほどの満面の笑みを残して、地域移行の良き理解者となった家族の待つ故郷に帰って行きました。

振り返れば私自身、地域移行には国立コロニーの時代から現在まで20年の長きに渡り関わり続けて来ました。そしてこの20年間で180人あまりの人達が地域移行の名の下に国立のぞみの園を後にしました。私は国立のぞみの園の地域移行を語るとき、180人には180通りの物語があると伝えます。

 

ひとり一人の地域移行はまさにオーダーメイドで、その中には本人・家族・送り出す支援者・迎え入れる事業所・行政担当者、等々、関わった全ての人達の笑顔と汗と涙、様々な事実が凝縮されています。

 

障害者支援施設にいる人達。家族も支援者も障害が重いから町の中で暮らせないと言う声を良く聞きます。でも町の中の支える仕組みや制度はどんどん進歩しています。実際に、10年前はとても無理と思った人でも、現在は町の中で暮らせるようになってきています。

 

高齢になっても、障害が重くなっても、是非、町の中で暮らす機会を作ってあげてください。そして、自分の暮らす場所を自分で決める機会を作ってあげてください。どんなに障害が重くても必ず答えてくれるはずです。それを共に考え、共に感じ、共に悩み、共に喜べることも私たちの仕事の素晴らしさだと実感しています。

執筆者プロフィール

古川慎治(ふるかわ しんじ)

現職:独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園(通称:国立のぞみの園)理事。

昭和の終わりに旧法人である国立コロニー「のぞみの園」入職。国立の入所施設の職員として、全国から集められた重度・最重度の知的障害者の生活支援に直接携わる。
平成15年 独立行政法人化に伴い新設された地域移行課に所属。「ふるさとの町を目指す地域移行」を担当することとなり、45都道府県300を超える市町村を移行先とする地域移行に取り組み、全国を飛び回ることとなる。
平成20年 地域や法人内での地域移行に向けた生活訓練を管理者として直接担当
平成23年 地域移行課長就任。翌年には、地域支援課長を併任し、地域移行に取り組みつつ、地域移行が難しい高齢・重度で身寄りのない人等を受け入れる法人所有の高齢・重度者に特化したグループホーム4カ所と地域での生活介護事業も担当する。
平成25年 地域移行を始めて10年。地域移行者が150人を超える。
平成28年 事業企画・管理課長 平成30年 事業企画部次長 平成31年 事業企画部長を経て
令和5年~現職。

法人が地域移行に取り組んで20年。法人内で一環的に地域移行に関わり続ける唯一の存在となる。一方で、「国立のぞみの園を売る営業職」と称して国立のぞみの園を多くの人に知ってもらうために、日本知的障害者福祉協会・全国手をつなぐ育成会連合会を中心とした様々な大会や研修等で、これまでの経験から得た知見をベースに、知的障害者を中心とした「重度化・高齢化支援」や「地域移行・地域支援」「制度や仕組み」「施設の今後のあり方」「意思決定」「親亡き後」等々をキーワードにした講演で全国を旅して回る。またそれ以外でも、国からの委託研究や調査等で全国を回りつつ、施策立案等に関わる。

全国手をつなぐ育成会連合会 機関紙「手をつなぐ」編集委員
【趣味】訪問先で仕事の話をしつつ、現地の美味しいものを飲んだり食べたりすること。
【特技】比較的誰とでもお友達になれ、馴れ馴れしくすること。

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