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ASDの私のカウンセリング/精神科面談とのつきあい方

ASDと複雑性PTSDのある私。今回は、私のカウンセリングや精神科面談とのつきあい方についてお話します。

私とカウンセリング/精神科面談との出会い、遍歴

-初めてのカウンセリング

高校時代まで、県の精神保健福祉センターが設置している心理相談などは利用していたのですが、私が最初にカウンセラーにかかったのは大学のときでした。

当時は自分に発達障害やトラウマがあるとは知りませんでしたが、家庭のことや人間関係のことで非常に思い悩んでいて、大学の保健センターの無料のカウンセリングを利用していました。先生は確か臨床心理士だったと記憶しています。

-20代の頃の精神科主治医

第二新卒で働いていたときに強い抑うつ感でほぼ寝たきりになりました。近所の内科で「うつ病」の診断を受けたはいいものの、そこで処方された薬を1錠飲んだら躁転してしまい、救急車騒ぎに。駆け込んだ大学病院の精神科の先生が、20代通しての信頼できる主治医となりました。

-家族問題のカウンセラー

20代後半になって、精神科への通院を続けながら、家族問題を中心に扱っているカウンセリングセンターにもかかるようになりました。ここでかかっていた先生は臨床心理士でした。

-30代の頃の精神科主治医

30歳で発達障害を自覚し、31のときに宮崎県に移住。32のときに、発達障害が診れる精神科の先生にかかるようになり、正式に発達障害の診断を受けました。この先生が、宮崎県に住んでいる間の主治医となりました。

-30代の頃のオンラインカウンセリング、初めてのトラウマ治療

その後数年、いろいろなオンラインカウンセリングを受けたりやめたりしました。臨床心理士の先生もいれば、下位の民間資格の人もいたと思います。結局2018年、ある著名な精神科医・臨床心理士(現在は精神科医・公認心理師)の先生とのつながりができて、この先生から初めて、オンラインでトラウマ治療を受けるようになりました。

-40代、オンラインのトラウマ治療

精神科医・臨床心理士の先生とのトラウマ治療をひととおり終えた数年後、コロナ禍に入ったあたりで、今のトラウマ治療の先生に出会いました。この先生は臨床心理士・公認心理師です。月に1〜2回、オンラインの面談を続けています。

-トラウマ治療もできる精神科医が主治医に

その後、宮崎県から本州に戻ることになりました。戻った先で出会った精神科の先生が今の主治医です。この先生はトラウマ治療もできる先生で、トラウマを前提とした面談をしてくれます。月に1〜2回通っています。

カウンセリング/精神科面談で私は何をしているのか

-メモを用意していく

カウンセリングや精神科面談では、最初「(最近)どうですかー」とか「今日はどうします?」とか訊かれます。

私はとてもカウンセリングや精神科面談を受け慣れています(笑)。それに、言うことをその場で考えようとするとパッと出てこず、あとで「あー! あれもこれも言えばよかった!」となることがあったり… このため、あらかじめメモを用意しておくようになりました。

メモの内容に「報告」「相談」などと印をつけておいて、「報告」と「相談」に分けて話しています。報告は、考えたことや起きたことを報告して、それにコメントをもらいます。相談は、これについてどうしたらいいかというアドバイスをもらいます。

-先生がしてくれること

今かかっているカウンセラーの先生はどちらかというと研究者みたいな淡々とした雰囲気で、「そういうことはよく◯◯(精神疾患や障害)の人が言う」とか、「臨床経験上の実感としてはこうするとうまくいく人が多い/こうなっていくと思う」とか、持っているデータをバーッと出してくれます。

今かかっている精神科の主治医も、適度に淡々としています。そして、医者らしく、どちらかというとフィジカル(身体)に着目したアドバイスをいろいろとしてくれたりします。ウォーキングを1回15分ぐらいしているけど体力が落ちたままだと言ったら、では25分とか30分とか時間を伸ばしてみて、など。あとは、薬の調整をしてくれます。

-私が効果を感じる治療は「心理教育」

私が安定的で確実な効果を感じる治療は、「いかにもセラピーです!」という感じの飛び道具的なものではなく、どちらかというと「心理教育」です。「どういうしくみで何に対してどんな反応が起こっていて、それはどういう人に多くて、科学的知見からするとこういう対応がいい」といったことを教えてくれるものですね。

心理教育は確実に疑問や不安が氷解しますし、どんどん知識が蓄積されていって自己理解も深まっていきます。ある種の習い事のような感じでもあります。

逆効果だったカウンセリング/精神科面談の中身を分析すると……

以前受けていた、シンプルな傾聴系のカウンセリングではよく、面談の中で「ああ、いま私は『傾聴』されている!」とか、「あっ! いま◯◯っていう技法使った!」とか感じていました。 

なんというか、こちらとセラピストの間に明確に壁があって、「あなた病んだ人(宇樹)、私はまともで親切で、優しく聴いて教え導く人(先生)」、みたいな感覚が透けて見える感じ。それで、すごくみじめな気持ちになってしんどいことは多々ありました。

自分のした経験について話したときに、泣いたり怒ったり驚かれたりと、あまりにウェットな反応されたときも、カウンセラーや精神科医が、高価そうだったり人生をエンジョイしてそうな身なりをしてるときもしんどかったです。高そうな時計や服を身に着けていたり、男性なら引き締まった身体に日焼けしていたり、女性ならきれいにメイクやヘアセットをしていたり…

ここ10年ほどでトラウマ治療の観点が出てくるまでの心理臨床も精神医療も、治療者とクライエント/患者との間の権力勾配や、クライエント/患者の敏感さ傷つきやすさに無頓着なところがあったのではと、私は感じています。

対等かつ、受け答えが淡々としている治療者に安心する

いまの先生は、カウンセラーの先生も精神科主治医も本当に対等で、上に立ったり壁を作ったりしてる感じがまったくありません。このため、私がみじめな気分になることもありません。トラウマの知識が十分な治療者は、クライエント/患者を「単にトラウマを受けただけの、自分と同じ人間」と捉えているのだと思います。

「トラウマのある人は感情的にウエットな対応をされると怖くなる」という現象があります。これは、優しくされたあとに加害されるなどといったことを経験しているからです。今の先生方はそういったトラウマについての知識がちゃんとあるので、冷たくない程度に淡々と接してくれて、とても安心します。

20代の頃にかかっていた精神科の主治医は、トラウマ治療なんて言葉はない頃の人でしたが、たぶん有能だったからか臨床的実感としてここを掴んでいたのでしょう、やはり淡々とした人でした。

この先生は、あるとき担当の別の患者が大量服薬して胃洗浄されてストレッチャーで運び込まれてきたときにフラーッと出ていって、いつもみたいに気の抜けた声で、開口一番「どんなかんじぃ〜?」って言ったのです。

彼のことは、今でも心底尊敬しています。あまり勘のよくない人だったら「馬鹿野郎!」とか言ってほっぺたを張るようなドラマチックな反応をしかねないところです。自分は死のうと思って大量服薬したのに、あの先生は怒らない、動揺しない、いつもとぜんぜん同じ。あの患者さんは、先生のあの対応にほんとに救われただろうと思います。

私も、診察室入った瞬間に「もうだめです、生きてられない」と言いながらさめざめと泣いたことがあるんですが、「ふぅん、なんで?」と絶妙に気の抜けた声で言いながらティッシュを差し出すので、「あれ? こんなに泣くほどのことじゃないのかな?」と変に安心したのを覚えています。

これからもカウンセリング/精神科面談は受け続けたい

私は書くことが頭の整理につながるので、話すことをメモしつつ、自分の頭の整理もしています。話そうと思って書いているうちに、自分の中ですでに「もしかしてこういうことかな?」とか「この困りごととこっちの困りごとはつながってるな」とか見えてくることも多いです。

一時期遠のいていたこともあったのですが、やっぱり久しぶりに面談を受けると、定期的に受けておいたほうがいいなあと実感します。

「お風呂に入るのは面倒だけど、お風呂に入ったことを後悔する人はいない」ということがよく言われますが、カウンセリングや精神科面談はお風呂みたいなものかもなと思います。面倒だし、エネルギーも使うけど、自分を元気に保つために必要なことで、受ければ何かしらプラスになってくれる。これからも私はカウンセリングや精神科面談の機会を大事にしていきたいと思います。

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ。早稲田大学卒。ASD、複雑性PTSD。
2015年に発達障害当事者としての活動を始める。LITALICO発達ナビなどで連載開始。 2024年、日本語教師としても活動を開始。複数メディアで活動を続けながら、次の発信を模索中。
現在、発達支援×日本語支援の分野に興味津々。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画
―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました

80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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