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やっぱりわが家に生まれたか! 息子の障害を知った私の気持ち

みなさん、はじめまして。細川 有美子と申します。私には、自閉症・ADHD・精神障害・難病(クローン病)の診断を受けた息子がいます。彼は今21歳。就労継続支援B型事業所に籍を置き、調子が良ければ週3回通所、悪いときは数カ月通所できない波のある状態です。

私はこれまで、息子という個性を授かり、育てるなかで経験した出来事や想いをインスタグラムに投稿してきたのですが、今回ぜんち共済様は私のアカウントをご覧になり、コラム執筆をご依頼くださったとのこと。私でいいんですか? ママ枠新設でクレームきませんか? という心境です (^_^;) 。

専門家ではありません。自分の経験してきたこと、覚えていることしか語れません。けれど、日々戦っているご家族のお気持ちが少しでも楽になったり、参考になったりするようなことがあればと思い、挑戦させていただくことにしました。「あなた、何者?」そうお感じの方もいらっしゃるかと思いますので、初回は自己紹介も兼ねた内容になります。これから、どうぞよろしくお願いいたします。

ナイル川のそばで生まれた、異文化のかたまりたち

息子と、2歳上の姉を、私はエジプトで出産しました。元夫はエジプト人。バックパッカーとして訪れたエジプトで出会い、現地へ嫁入りしたのです。世界遺産が乱立する南部の都市ルクソールに住んで、ラマダンやお祈りなどイスラム教徒の暮らしをしていました。

娘の幼稚園初登園日。初日のみ私が同行しました。普段は一緒に写っているいとこのお姉ちゃんたちと一緒に通園していました。私のお腹には息子が。左端は大家さんです。

 

息子もお姉ちゃんも、ナイル川に近い病院で出産。親子共々、周りから受け入れられ愛されて、幸せに暮らしてはいたのですが……やはり何かと難しい国でして、それはもういろいろなことがありました。生活が成り立たず、私と子供たちだけ逃げるように日本に一時帰国。私の実家で子育てをしてきました。

数少ない、家族4人の写真です。

笑わない息子は自閉症だった

赤ちゃんのころ、息子はあまり表情に変化がなく、笑うのも珍しいほどでした。おとなしくて、育てやすかった印象です。日本に来たのは9カ月の時。1歳を過ぎたころから、あまり目が合わないし、名前を呼んでも振り向かない。歩けるようになると、自分の興味のまますぐにどこかへ行ってしまうような子でした。

1歳半健診の前に、私の母が言いました。「この子、自閉症じゃないかしら」。私の中にあった違和感に、何かピタッとはまるものを感じます。再健診や精神科の受診を経て、2歳で自閉症と診断されました。これが私と発達障害の出会いです。

私の髪が抜けていく……

私と子供たちが日本に来た当時、私はまだ元夫と離婚するつもりはなく、一時的な里帰りと思っていました。しかし、私が帰国してから判明した夫の所行や様々なことが重なり、これ以上婚姻関係を続けることは難しいと判断。私は日本に住みながらエジプトの裁判所に対して訴訟を起こし、離婚を成立させました。

離婚しようと決意するまでの、私の気持ちが大きく揺れる時期と、息子の障害を疑っていた時期が重なりました。そしてある日、私の体の、全身の毛という毛が抜け始めたのです。
頭髪はもちろん、腕・脚・顔、まつ毛まで全身の毛を失いました。眉なしスキンヘッド。最強のコワモテです |||゚Д゚;)。

病院へは行きましたが、原因ははっきりしていません。落胆、後悔、自責の念、将来への不安、恐怖……そういったものがストレスとなり、免疫が自分の細胞を攻撃しはじめた。脱毛についていろいろ調べた結果、そういうことだろうと私の中では落とし込みました。

それから約20年。私の人生の相棒となった「ウイッグ」は、いまだ手放せていません。
でも、こんな体でも、障害のある息子がいても、再婚できたんですよ。息子が中3になる春休みに入籍して、つまり息子も姓が変わったのですが、この辺のこともいずれお伝えできればと思います。

やっぱりわが家に生まれたか

この子には障害があるのだろうか。それとも発達が遅れているだけ? はっきりしない期間のモヤモヤは、凸凹キッズのパパママみなさんが感じてこられたことでしょう。私もそうで、自閉症の診断が出たあとのほうが気持ち的には楽になりました。

とても不思議なのですが、息子の障害を知ったときの私には、不安の奥に「やっぱりわが家に生まれたか」という感覚がありました。

妊娠に気づいたのは33歳のころ。若くはないので、万一の事にも思いを巡らせました。もしも病気や障害のある子を授かったとしたら……。命の問題ですから一度しっかり自分に問いかけて、答えを出して、腹をくくろうと思ったのです。

お腹に触れながら「どんな子だとしてもちゃんと育てます! 愛し続けます!」と言葉にしました。そう誓ったときにいた場所、見ていた景色、その瞬間のことを、今でも鮮明に覚えています。「やっぱりわが家に生まれたか」と感じたのは、その誓いの記憶のせいかもしれません。

誓いを聞いていた神様に「ほんならこの子の親、アンタね」と、選ばれた。そんなふうに感じたのです。子供のことも、自分のことも、特別な存在に思えました。

本当は傷ついていると、体が教えてくれた

自分が本当に選ばれた存在かどうかとか、息子が障害を持って生まれた理由なんて、考えても分かりません。ただ自分が楽になり、肩の力を抜いて、前を向けるようになるための「都合のいい解釈」ができれば、それでいいのかなと思います。

「苦しい」「悲しい」「つらい」という感覚を押し殺して、なんでもないように振る舞う習性のあった私は、痛みを直視する余裕がまだありませんでした。自分に誇りを持てる発想をするほうが、心を保つためには近道だったのです。

本当は傷ついている、ということは、私の体が脱毛というかたちで教えてくれました。わが子に障害があるという衝撃は、やはり相当なものです。

自分を責めたり、ほかの子と比べたりと、悩む材料はいくらでも出てきてしまいますが、しんどいときは、自分の心の都合を優先した受け止め方を探してみてくださいね。障害児育児は長期戦なので、なにより若いパパママには、自分の心を健やかに保っていてほしいです(それが難しいのですけれどね >_< )。

いずれ、「この子と一緒の人生でなければ見ることのなかった世界」に、よろこびを見いだせる時が必ず来ると思います。

執筆者プロフィール

細川 有美子(ほそかわ ゆみこ)

1968年生まれ、福島県在住。
バックパッカーとして海外旅行中に出会ったエジプト人と2000年に結婚。現地で子供2人を出産する。2003年子供と帰国したのち、息子の発達障害が判明。夫とは2005年に離婚。
これまでに自閉症(中等度発達遅滞)・ADHD・精神障害・難病(クローン病)の診断を受けた息子の子育てと現在を、Instagramで発信。
2014年より取材・執筆活動を開始し、現在は事業所でのパート勤務、再婚の夫とふたりで米づくりにも奮闘している。
◇たきちゃん農場 https://www.takirice.com/
◇Instagram https://www.instagram.com/yumiko_days

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